『山口富士夫とわたし』能登ヤズ公🎴
八月。
来たる10日は、日本.伝説のヤクザROCK バンド「村八分」~murahachibu~を率引したギタリストという肩書きだけではプロフィールのフレームに収めるコトなど不可能
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山口富士夫の誕生日♥️
そしてまた、全くの他者の路上での喧嘩の仲裁中、路肩の縁石に頭を強打して他界した彼の命日は、やはり8月の14日…。
福生で一度。東京.高円寺で二度程…富士夫サンのLIVE の打ち上げの"酒席🍺"に紛れ込ンで共に呑んだコトは、俺のかけがえない一生の思い出となってしまった。
とりわけ福生の"🍺打ち上げ"
に紛れ込ンだ時は
「やばいコトしちゃったかも…」…と勢いに任せながらも反省の念がこみ上げてくる程に冷や汗をかき、熱気に包まれた貸し切りの酒場の隅で、自分の素性を問われないようにと亡霊のように気配を消して静かに呑ッていた。
夢見がちで馬鹿だったオヤジの事業の失敗で
東京から北の辺鄙な山ン中へ夜逃げのように
移住.転校させられた俺には
"山口富士夫"
という存在に関する情報は限りなく絶無。
まさしく得体が知れない俺のヒーローだった
そんな彼の酒席で俺は、憧れのROCKERと共に呑ンでるという現状に感激したあまり、ウカツにも呑みながら、駆け巡る思いに耽りつつ涙をこぼしてしまった…。
すると随席で酒を立ち振る舞ッていた富士夫サンが
「おいお前。どーした?女か…」
そう言ッて問わず語りに
唇にケチャップと"🍝パスタ"をつけたまま俺に
「女とは…」…云々。
「俺も女はサマザマでよぉ~」
と自身の女性遍歴を述べてくれた。
それがまた夢のような感激のあまり、俺は再び泣きじゃくッてしまいそうなのを堪えながら
立ち上がり
「死ぬ気になんかなれっこねぇぜー🎶」
↑
(富士夫サンの名曲のサビ部分)
とシャウトしてしまった😸🎶
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盛夏に生まれてくたばっちまった富士夫サンは、いつまでも俺の
"沈まない夏の太陽☀️"だ‼️
「死ぬ気になんかなれっこねぇぜー🎶」
そうシャウトし続けた富士夫サンの魂を汲みながら、俺は盛夏の8月をヘトヘトになるまで満喫するつもり‼️
能登ヤズ公🎴 夏。海で。